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尾崎豊 最期の時に一体何があったのか?

 

死因の肺水腫を引き起こした覚せい剤の存在はなぜ隠されたのか?

 

謎と疑惑が時の流れの中に埋没されゆく現実を憂いている。

死因の肺水腫を引き起こした覚せい剤の存在はなぜ隠されたか!!
 

運命の日=1992年4月25日

この日、十代の教祖,若者の代弁者と呼ばれ熱狂的な支持を集め日本ロック界のカリスマと言われたアーティスト尾崎豊が26才という若さで急死した。尾崎の体には無数の傷があり右目の瞼は殴られたように腫れ上がりあまりにも異常な死に様に事件に巻き込まれた可能性を疑った警察が尾崎の遺体を司法解剖へ回した。東京医科歯科大学で行われた検死の結果、尾崎の体内からは致死量の約2,64倍にあたる覚せい剤が検出されたという。所轄する千住警察署は当初、尾崎が何かしらの事件・事故に巻き込まれた可能性を疑い覚せい剤が検出された事実は公表せずに死因を飲酒による肺水腫とだけ発表した。

 

聞きなれないこの『 肺水腫』という死因 

尾崎が民家の軒先に迷い込んだ前後(小峰さんが最初に尾崎を確認したのは午前3時頃であったと証言している)に経口摂取した致死量以上の覚せい剤の影響が出始めたと推測される。尾崎はきっとそれまで味わった事のない様々な症状に襲われ、あまりに多量であった為に急性覚せい剤中毒に陥ったと見られている。小峰さんは中毒症状に悶え苦しむ尾崎の姿を警察が到着するまでずっと観察していたという。

 

目撃情報では尾崎の行動は全く理解し難い異常なものであり、且つ尾崎は何故か全裸になって太極拳のような動きを繰り返し、更には何度も何度も力を入れて体のあらゆる部分を地面に擦り付けていたという。覚せい剤中毒に陥ると体温が上がり全身の皮膚表面に激しいかゆみが感じられるという。

 

尾崎はその耐え難い苦痛に襲われ上昇した体温の熱に耐えられず服を脱ぎ去り、かゆみを抑える為に精一杯の力で全身を冷たい地面に擦りつけていたと思われる。このような症状は覚せい剤中毒状態に陥った者だけに見られる特徴だという。そのような常軌を逸した不可解極まりない行動・挙動が、果たして酒の飲み過ぎだけで起こりうるものなのか。

 

"この早すぎる死に誰もが疑問を持った"

 

後に尾崎ハウスと呼ばれるようになった民家(小峰宅)の庭先での不可解な行動は尾崎がこの世から消えたら都合がいいと考えていた者たちの、尾崎へ抱いていた憎悪や妬みが多量の覚せい剤という魔物へと形を変えて尾崎に襲い掛かった瞬間ではなかったか?

 

空に向かって何度も拳を振り上げたり太極拳のような動きを繰り返していたという尋常ではない尾崎の姿がそれを暗示しているように思えてならない。事実、小峰宅から白髭橋病院へ救急搬送されてから約7時間後に急死した事を思うと俺の心にはより一層の疑念が渦巻く。

 

この尾崎の不可解な急死については誰もが原因究明に向けた捜査が行われるものと思っていたが、しかし尾崎が発見された民家を所轄する千住警察署はいつの間にか尾崎の急死については事件性は無いと判断その事を繁美夫人にだけ伝え捜査を打ち切っていた!! 尾崎の父親や実兄といった身内には何の事前連絡もなかったという。

 

こうして"尾崎豊 急死の真相"は現在まで解明されていない。一体、千住警察署が"事件性無し"と判断した根拠は何なのか? その根拠を示し、また事件性が無かったのならそれ以外に考えられる要因(例えば事故死の可能性等)を公表すべきではなかったか? 何故それさえも行われなかったのか? 千住警察署の初動対応はどうしても腑に落ちない。あたかも意図的に捜査回避を狙ったように感じられ到底納得できるものではなかった。

 

尾崎の死後7年ほど経った頃、写真週刊誌FRIDAYが救急搬送された病院で救命措置を受けている尾崎の写真をスクープした全身傷だらけで右目には殴られた様な痕があり想像を絶する程に変わり果てた尾崎のショッキングな姿に、改めて不慮の事故死とする説、ましてや未亡人となった尾崎繁美(尾崎広美と改名した説もある)氏が主張した自殺では決してない別の原因があるのではないか?と急死についての関与を噂されていた繁美夫人への疑惑はより深まっていった。

" 急死の衝撃とその凄まじさ"

この凄惨な写真(別サイトに遷移します) は何を意味し何を訴えているのか!明らかな事は尾崎の死因は致死量の約2,64倍にあたる覚せい剤の過剰摂取(Drug-over-dose)によって引き起こされた肺水腫という事実だ。なぜ警視庁並びに千住警察署は尾崎の体内から検出された致死量の約2,64倍にあたる覚せい剤(メタンフェタミン約3㌘=当時の末端価格にしてなんと約54万円分というとんでもない量) の入手ルートと、それがどのようにして尾崎の体内に入ったのか?という点を捜査しなかったのか?

 

そこが最大の疑問であり尾崎の死の全容を解明するためには必ず調べなければならない重大事だ。そしてまた同時に別の疑問も浮かんでくる。それは・・・そんな多量の覚せい剤を尾崎が自分で飲んだのか(胃内から見つかっている事から経口摂取したとされたそれとも意図しない状況で体内に入ったのか、真実はどちらなのか。

 

尾崎をあのような無残極まりない死に追い込んだ原因は何か!!  それによって尾崎の急死は相反する性質を帯びた事件の可能性が高くなる(もっとも覚せい剤が現出されただけでも犯罪なので警察が対応するべき問題になるが仮に尾崎自らが覚せい剤を摂取していた場合容疑者死亡となるため警察がその後に入手先の捜査などを行わない事はよくあるという

覚せい剤という違法薬物が検出された時点で刑事事件として扱い対応する必要があった。それにも拘わらず警視庁並びに千住警察署は一切何の捜査も行わずに事件性無しと判断、何故か捜査の打ち切りを決めた。再度、警察が尾崎を保護した時からの動きを整理してみよう。

 

小峰さんから通報を受けて現場に駆けつけた千住警察署員は全裸で傷だらけの尾崎の姿から何かしらの事件・事故に巻き込まれた可能性が高いと判断していた。それは死因を特定する為の解剖を行政解剖から途中で司法解剖へ切り替えている点からもまず間違いない。

 

先述したFRIDAYが凄惨なBLUE EYEの尾崎の写真と共に死体検案書も掲載したが更に後年、その死体検案書を記し尾崎の解剖を担当した法医学者である支倉逸人(Hasekura-Hayato)氏が「検死秘録という本を出した。


その中にはこれまで捜査当局から依頼され支倉氏が行った複数の解剖の一例として尾崎を解剖した時の状況と推察される表現で尾崎の遺体の状態を詳細に記述している箇所がある。その中で支倉氏は尾崎の遺体から検出された内容物が覚せい剤であった事を担当の検死官に伝えた時のやり取りを次のように書いている。

支倉氏:  これはどう見ても 『 覚せい剤中毒だね 』私が検死官に報告すると、なぜか彼は困った表情を 浮かべた。

検死官:  『 うーん、覚せい剤ですか。覚せい剤の捜査となるとまた別の捜査が必要になりますねぇ 』 

     

そしてしばらく思案を巡らせてから" 死因としては直接死因の肺水腫というところだけ発表しましょう "

と一人納得していた。覚せい剤による中毒死となると他課との調整が必要だ。入手先の捜査のためには、

ここで覚せい剤が出たことは伏せておかなければならない、そう考えての発言だろう。

❞  引用:検死秘録(光文社支倉逸人著  ❞

この事実は非常に重要で解剖で死因が分かった段階では警察は少なくとも急死の原因を調べて全容を解明するための捜査へ着手するつもりでいたはずだ。その為に覚せい剤が検出された事実を伏せる必要があったのは支倉氏も指摘している通り当然の判断だ。問題はその後、警察内部でどのような協議を経て事件性無しと結論するに至ったのか。そのプロセスがまったく不透明なままであり警察の隠ぺい体質がもたらした1点にこそ全ての尾崎問題を生んだ根源がある(当初、捜査を担当する予定だった刑事は、捜査が打ち切りになった事を尾崎の実兄=尾崎 康氏に伝えた際に理由を尋ねられ"それが全く分からないんです。上からの指示でとにかく捜査は中止しろ”と言われ、その理由については何も伝えられなかったんです”と説明していた事が後に分かっている

 

初動の過程で急死への疑問がうやむやになり未解決のまま放置される結果となった事実は捜査機関の重大な過失であり、それは

 

警察内部に蔓延する体質=怠慢・都合主義の表れ

 

であり責任はあまりにも重く断罪されるべき失態だ。少数派が推測したような捜査を打ち切りの方向へと誘導した何かしらの圧力が実際に介在していたならば、その力は計り知れないほどに大きくて恐ろしいものだ。事実、急死直後には真相解明のために伏せたはずの覚せい剤の存在がいつの間にかそのまま無かった事にされている。

捜査当局がこの点を看過せずに職務に忠実な対応をしていれば今日まで続く死因についての論争は起こっていなかったと断言できる。我々、有志団体であるNEO-ISOTOPEネオ・アイソトープ​)は深い疑惑の闇の底に沈んでいる死の真相・真実を必ずあぶり出し社会に広く知らしめ長らく続いている論争に終止符を打つ事を尾崎に誓う!!

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